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肥前陶磁器の「はじまり」~唐津焼

2017年02月12日

素朴ながら、味わい深いデザインと手触り

 唐津焼の起源は諸説ありますが、桃山時代の1580年代に岸岳地方(唐津市北波多地区)で始まったとされています。岸岳には当時、強大な水軍を背景にこの地を支配していた松浦党の一族・波多氏の居城があり、朝鮮半島との往来の中で朝鮮陶工が渡来し、窯を開いたと考えられています。登り窯、蹴ロクロなどの技術もこの時に伝えられ、高い品質の焼物を大量に作ることができるようになりました。
 九州の陶磁器は、豊臣秀吉の朝鮮出兵を機に渡来した陶工たちの手によって発展を遂げたとされてきましたが、この説によれば、それ以前に唐津で生産が始まっていたことになります。このあと発展を遂げていく肥前陶磁器の「はじまり」の地といえるでしょう。

 それまで実用一辺倒だった日本産の焼物に、初めて見た目の美しさを表現したのが唐津焼でした。耐水性を高めるために使われていた釉薬(※)を装飾に用いるようになり、簡素ながらも味わい深い柄や文様が描かれました。薄茶の素地に草木などが描かれた「絵唐津」は、日本で初めて絵付けを施した焼物と言われます。灰釉・鉄釉・藁灰釉など様々の釉薬を使い分けることで、「朝鮮唐津」「斑唐津」「黒唐津」といった表情豊かな作風も生まれ、これらの技法を用いた“古唐津”は最盛期を迎えます。
 茶道の世界では、「一井戸(高麗)二楽(京都)三唐津」と評価され、多くの茶人に愛されました。生活雑器も作られるようになり、唐津港から積み出された唐津焼は京都・大阪などに広がり、西日本では焼物を総称して「からつもの」と呼びました。

 その後、波多氏が秀吉に追われると陶工は離散し、産地も周辺の武雄や伊万里、平戸などに広がりました。朝鮮出兵を経て渡来した朝鮮陶工たちも各所で窯を開いて唐津系の陶器を焼き始めますが、江戸時代の1616年に有田泉山で磁鉱石が発見されると、鍋島藩の管理下で磁器の生産が盛んになります。唐津焼は唐津藩の御用窯となり献上品として庇護され、ざっくりした砂目が特徴だった古唐津に変わり、「二彩唐津」「三島」など磁器に近いものが焼かれるようになりました。これらは献上唐津と呼ばれています。

 明治以降は藩の庇護を失い、衰退の一途をたどりますが、人間国宝・中里無庵(1895~1985)が古唐津の技法を復活させ、再び息を吹き返しました。新たな感覚を取り入れた作家も現れ、今では唐津市内に約70の窯元が点在しています。

※釉薬(ゆうやく)=灰や砕いた土石類などを水で溶いた薬品。器の表面に塗って焼くとガラス質の膜で覆われ、耐水性を高める効果がある

”作り手八分・使い手二分”の器

 唐津焼は〝土もの〟と呼ばれる陶器。ざっくりとした粗い土を用い、素朴かつ力強い印象を与えます。茶陶として名高い唐津焼ですが、生活の道具としてもさまざまな器が存在します。その特徴は〝作り手八分・使い手二分〟と言われ、料理を盛る・茶を入れるなど、実際に使われることで作品が完成する「用の美」が大きな魅力です。
 他の産地に比べて種類が多いことでも知られ、土の性質や釉薬、技法により分類されます。

【代表的な唐津焼の種類】
◆絵唐津(えがらつ):「鬼板」と呼ばれる鉄溶液(絵具)で絵を描き、透明の釉薬を薄くかけて焼いたもの。草・木・花・鳥・人・線文などが指や筆で描かれ、素朴ながら繊細で力強い表情を生み出しています。唐津焼を代表する種類で、さまざまな器に用いられています。

◆斑唐津(まだらがらつ):藁灰などを混ぜた白濁の釉薬をかけて焼いたもの。素地(粘土)に含まれる鉄分や、窯を炊く燃料の松灰が溶け出し、表面に青や黒の斑点ができやすいことからそう呼ばれます。唐津焼発祥の地とされる岸岳窯で始まったと推測され、茶碗や猪口(ちょこ)に多く用いられています。

◆黒唐津(くろがらつ):鉄分を多く含んだ黒釉を用いて焼き上げたもの。鉄分の量や酸化の度合いにより、飴色・柿色・褐色、深い黒など幅広く発色し、ぐい呑みや片口、皿として広く用いられています。

◆朝鮮唐津(ちょうせんがらつ):鉄分の多い鉄釉と藁灰釉の二種類の釉薬を使い、高温で焼くことで釉が自然に溶け合う様子を楽しめます。黒く発色する鉄釉を下に、乳白色の灰釉を上にかけるものが多く見られます。茶陶の世界で重用されており、水差し・花入れ・徳利など、茶器として多く用いられています。

◆三島(みしま):半乾きの素地に印花紋、線彫などの文様を施して化粧土を塗り、さらに釉薬を流しかけて焼き上げます。朝鮮の李朝三島の技法を受け継いだもので、唐津では江戸時代に生産が始まりました。茶碗などの茶器によく用いられ、日本の多くの産地にその類型を見ることができます。

◆粉引き(こひき):褐色の粘土を使い、素地が半乾きのうちに白い化粧土をかけて乾燥させ、木灰釉などをかけて焼いたもの。白い粉が吹いているような風合いから、この名がついたと言われています。古くから朝鮮で用いられた技法ですが古唐津では見られず、近代になって取り入れられた技法です。