適切な行動にもケチをつけずにはいられない毒親 駐車を巡って

Episode.1

毒親の前で駐車を何度もやり直し

一年ほど前に実家に行ったときのこと。

私達夫婦はその日、親に車を借りることになりました。

一戸建ての玄関の脇にある小さなガレージから車を出して出かけました。

そして帰ってきたときのことです。

 

私はバックで車を入れるために、念のために妻に外に出てもらって見てもらうことにしました。

両親もきちんと私が車を入れられるのか気になるのでしょう、家から出てきて私の様子を見ていました。

 

私は一、二度切り返して丁度ど真ん中に停めました。

その間両親はずっと黙って見ていたのでこれでよし、と思い車から出ました。

すると、「こんなに右に寄ってたら私が車に乗るときに入れないじゃない!」と母が言ってきました。

 

私は、そのときは何も思わずにもう一度車に乗って右が空くように、ほんの少し左に寄せました。

これで大丈夫か、と思って車から出たら今度は、「こんなに寄せたら出るときに左にぶつけちゃうじゃない!」と母に言われました。

また位置修正をしようとすると、「もうそれでいい。」と母は言いました。

後から考えれば矛盾だらけ

いきさつは以上です。

恥ずかしながら私は自分の家に帰って妻に指摘されるまでこのことについて何も思っていませんでした。

 

よく考えると、私が車庫入れしている最中じゃなくて、車から出たときに言うのはおかしいですよね。

そんなにシビアな位置調整が必要なのなら、窓を開けて細かく指示を出せばいいだけのこと。

もしくは母が自分で入れればいいのでは?という話になりますよね。

 

妻が言うには、私がバックしている間ずっと、「ああもう。そんなんじゃぶつかっちゃうじゃない。あーあーーあぶない。ああっ、あああっ!」などとうろたえていたそうです。

………

お分かりになっていただけますか?

私が過去からこうやって過剰に心配するふりをして馬鹿にされ、自己肯定感を持てないようにされ、母に対する罪悪感を持たされていることを。

むすっとした顔で様子を見ていると思えば、過剰な反応でさも問題が起きているかのように振舞う。

こんなのは精神異常者以外の何者でもないです。

もし本当に、いい年した息子をそこまで心配しているのだったらそれはそれでおかしい。

 

ずばり左側が何センチ空いていたらセーフで、右側が何センチ空いていたらセーフか聞いてみたいです。

その空いている幅の合計が理論上ありえない数字になることは十分あり得ますね。

ただ、私にケチをつけたいだけ。

大体私が車から出られているのに、自分が入れないって何なのでしょう。

少しはダイエットをしたほうがいいんじゃないかと思いました。

もしその場で思いつくことができれば言えるのに、その場では何も気付かず流してしまう。

これ、コントロールされた子供の特徴だと思います。

まだまだ修行が足りません。

毒親の特徴は下の記事に書かれています。

この特徴に当てはまれば毒親!?毒親と毒親育ちの嫌な特徴とは

上記の記事のような腐った人間性とはさっさとおさらばしたいところです。

父からのとどめの一言

ちなみに、一応車を借りた身分なのでガソリンを入れて返しました。

借りる時点でほぼエンプティに近かったのですが、満タンまで入れました。

5000円くらいかかったので、結構な出費です。

私は一応、いいことをしたつもりでいました。

そしたら、父が最近こう言ってきたのです。

「お前らがガソリンあんなに入れるから使い切るのに半年かかってしまったよ。」

???

もう何も言葉が出ません…これは何でもいいから文句を言いたいだけなのか、それとも遠まわしな感謝なのか。

どちらでもいいからもう考えたくもありません。

Episode.2

対人恐怖症でコミュ障の私、ブログにひたすら毒親のことを書く!

私は面と向かって自分の考えを人に伝えることが苦手です。

自分の気持ちをこめてずっと話しているうちに自分の気持ちが折れてきて、相手から自分の考えを否定されるのではないかと怖くて仕方がなくなってきます。

ですので、簡潔には済ませられない話はメールや、手紙にして一気に相手に伝えるようにしています。

この性格は、私の本音を親が聞いてくれなかったことが関係しているのではないかと思います。

 

人との根本的な信頼感がないから、極度の緊張をするのです。

話しているうちに苦痛で顔は歪み、脈拍は上がり、早口になります。

そして、突然頭が真っ白になり、何を言いたいかわからなくなります。

論理的に話をすることが求められる大人になってからは、このことでずいぶん苦労しました。

話しているうちにその場に居ることが耐えられなくなり、挙動不審になることが自分でもとても嫌でした。

まさに対人恐怖症です。

 

心の中の母にダメ出しされる

小学生の時までは雄弁で頭もよく回転していたのに、なぜ大人になって退化していったのだろうと悩みました。

それは、一人の人間として生きていける育て方をされなかったことに問題があるのだと思います。

親に代わって幸せを獲得してくる代理人だったときは親のために能力を駆使しました。

自分のためではないので、気兼ねなく力を発揮できました。

 

しかし、自分のために能力を生かすことは許されませんでした。

自分の主張をしようとすると、心からダメ出しの声が聞こえてくるのです。

そう、それは母の声です。

「お前の話など誰も聞いてくれないよ。お前は私のことだけ考えていれば他に何もしなくていいんだよ。変に張り切っちゃうと失敗するよ。お前は能力がないんだから。ほら相手の人は不満そうな顔をしてるじゃないか。」

その声が聞こえてくると心が縮こまり、急に不安になり、何もできなくなります。

こうして、年をとればとるほどコミュ障に拍車がかかっていったのです。

立ち上がるとき

このブログも始めてまだ日が浅いですが、大分たくさんの文章が書き溜まってきました。

私の密かな夢は、母にこのブログを読ませることです。

私のことですから、面と向かって理路整然と説明することは難しいと思われます。

いざ話しても、内容が内容だけに途中で打ち切られて反論されるかもしれない。

そうでなくても、途中で自分が混乱してしまって、ぐだぐだなまま話をまとめてしまって無様な姿を見せる可能性も高いでしょう。

 

しかし、こうして文章にまとめているものを読ませれば…

私の考えが全て文章に表れているので、私が母の正体に気付いていることが公然の事実となって母にのしかかるでしょう。

そういう意味でも私の過去、そして今に至るまでの想いを「形」に残しておくことは大きな意義があることに感じられて仕方ありません。

追記:毒親は、他人が話を聞かせようが、文章を読ませようが決して自分を省みない人種だという結論に達しました。
ですが、こうして文章を書くことは無意味ではありません。
自分自身の気持ちや思考の整理と、毒親問題についてあまり詳しくない方への啓蒙になると思うからです。

 

私は本来文章を書くのはあまり速いほうではないです。

細かな表現を気にしてしまって推敲に推敲を重ねた挙句、駄文が出来上がることも珍しくありません。

国語は苦手で言葉や表現もあまり知りません。

 

それなのに、毒親のこととなると驚くほどスムーズに書きたいことが浮かんでくるのです。

エピソードも次から次へと思い出し、こんなことがあったな、と忘れていた記憶まで蘇ってきます。

きっと、親への思いはマグマのように煮えたぎって噴出しそうな状態なのでしょう。

 

こうして文章を書くことには快さを感じます。

それはこれまでに蓄えてきた毒を吐き出し、私の人生を「形」として残すことで魂が洗われていっているような感じです。

頭の中も整理されてスッキリします。

今の私にとってこの作業は必要なことのようです。

Copyright© 毒親を許さない , 2020 All Rights Reserved.